時代と共振する着物 其の1
自分の仕事の位置づけを
着ること身に付けるものの全てのものの中で位置づけと意味付けをしておくこと
今年(2023)私が拝見した展覧会の中で特に印象深く、私のきものづくりとの関係で記録しておくべきと思ったのは、ディオール、エルメス、田中寛志、サンローランの各展覧会であり、最後に連なるのが
やまと絵 展(東京国立博物館)であった 。
日頃の私の仕事の流儀は自分の仕事の一環としてスケッチやエスキースとともに展覧会を追っかけることである。
キモノを伝統に位置付けないで、時代と常に共振し続ける現在のものであるという位置に戻して取り組むとどうなるのか。
本年はディオール展(東京都現代美術館)から始まりイブ・サンローラン展(国立新美術館)に終わった年であった。実は昨年の晩秋に京セラ京都市美術館にエルメス展が、開催されており、欧米の世界的ブランドが、その歴史とモノづくりの方法と哲学を明快さにデザインされた導線構成を始めとして圧倒的に美しく自らを語る展覧会であった。
エルメスのスタイリッシュな会場内導線のデザインや宝飾、、スカーフなどの染織、皮革製品等アイテム、ジャンルごとの職人の実演も配置しつつ、高い品質制作の方法を見せるブランドの戦略的広告イベントであった。
年が明けて、ディオール展は東京都現代美術館の広い会場を存分に活用したもので、年間の最も高い評価を得るべき展覧会といってよい内容であった。このブランドが如何に新しい女性の美を絶えず創造してきたかをたっぷりと見せてくれたと言える。例えば、創始者のディオールがウェストからヒップへのラインをチューリップラインと称されるパターンに抽出し、女性のセクシャルと自信と穏やかさを主張させ、このブランドのオリジナルフォーム化が始まり、云々。
しかし同じ年初で、開催期間も一週間たらずで、会場も小さな東京画廊での、『田中寛志展』が、大きな存在感を示していた。長年、資生堂のショウウィンドウデスプレイデザインをリーダーとして関わったものをエッセンス的に振り返る小規模な展覧会であった。
私がディオール展と行ったり来たりして感じたのは、田中氏のデザインコンセプトである「凝縮」という日本美の一つを実践してこられた軌跡であり、会場のスケールを超越して、美を競いえている存在感であった。「余白」「省略」「儚さ」「素材感の粒立ちと緊密な完成度」等は、深くシンパシーを持つ。その美の方法はこの会を記念して発行された『空間デザインの詩学』というそれ自らも其の方法感性に則った作りを見せているエッセイであり散文詩であり作者の結晶本であるといえるものに述べられている。
「手にとって慈しむ」美と美にともなう行為というテーマで身につけるものとしての化粧品と衣裳系との違いはあるがより細やかさが、響いてくるのが、田中氏が表出して来た世界といえる。
日本のきもの作りと売り方を問い直す契機以上のものになっていくことをこの記憶が語っている。
小さくて控えめの展覧会が最大級の大きな展覧会に時が経過しても存在感とその意義が匹敵し得ていると思えることである。 ..... 続く
サンローラン
やまと絵
アンディーウォホール
由水十久 二代
2024年05月17日 17:26